2008年1月24日
【プロヴァンス・のほほ〜ん日記】
ニックネーム:プティモンスター(小さな怪獣ちゃん)我が家
のオチビ、1歳半の孫が、高熱による痙攣で救急車騒ぎ。プロヴァンスの小さな村には救急車が1台しかなく、すでに別の助っ人で忙しい。でも隣村から救急車
がやってきた。
しばらくす
ると、その又隣村から2台目の救急車に、ドクターが乗って来てくれた。又しばらくすると我村から、前のお仕事が終わって見に来てくれた。
1本の電話
で3台の救急車に集まって頂いて、驚きと感謝と複雑な気持ち。家族全員、痙攣を見たのが始めてでもあり、倒れそうになるほど、パニック。真っ青になり、意識を失う赤ちゃんの様子は、よほど、大人
が病気になった方がましだと思った。そしてアビニョンの小児科に直行。即入院!点滴で眠り続けるプティモンスターの寝顔を見て、泣けてくるやら、心配や
ら。
精神的な緊
張が解れたのは入院して2日目。
プティモン
スターも少し回復するが、クスリの影響なのか、半分あっちの世界。付き添いの私は、ベビーベットの横にある椅子で眠る4泊5日。思い返せば食事なし、水な
し。
あれっ?
日本の場合
は付き添いも赤ちゃんも、時間になると食事が運ばれてくるよね?
ここはプロ
ヴァンス。所違えばなんとやら、大人の分は自分で何とかしなくてはならない。そして赤ちゃんの分も
「お水お願い
しまあ〜す。ミルクよろしく、少し食べ物も〜」
と言わなけ
ればいけない。
郷に入れば郷に従え!その国のシステムに合わせて、アメーバ
のように変身!元気に生きようっと・・・
ちょっぴり
お腹が空いたなあって思えるのは、プティモンスターが回復した、安心の証拠だものね。人命救助に感謝、感謝。
ほんと 飲
まず食わず トホホ
ダイエット
に近道だけどね!
今では プ
ティモンスターも、すっかり元気!

2007年11月吉日
好きなことば
『青
春とは、真っ白な得たいの知れない大きな壁を前に、自分の足で立ち、正しい道かどうかを模索する時である』青春の言葉の中にある、果てしない可能性の匂いを嗅ぐ。私は今も現在進行形である。
『父
親の役目は、子の母親を無条件で愛すること』家族にとって欠かせないもの
は愛。父親は育児においても重要な立場にある。何が大切か。それはさらに愛、無条件の愛、子に対する愛、もっとも重要な愛は、子の母親への愛。母親が安心
して子を育てるには、父親の大きな愛が必要である。
『人生はラビリンス。心配しながら通るか、あるいはワクワク冒険しながら通るか、自分で決めているんだね』
ペンネーム夢源 晴子ミシャロンのつれずれ
2007年9月8日
シジミ蝶
プロヴァンスの昼下がり、プール水温20度。澄みきった水で泳ぐのは私一人。バカンスでロングステイしていたパリジャン達は仕事の為に、パリへ戻っていっ
た。サンオイルが浮かんでいたプールが透明になり、少し静かで寂しくなった。
テラスのゆりかご椅子に身を沈めると、小さな羽根を閉じたシジミ蝶が目の前のゼラニュームに止まっている。
あれは、確か私が小学校4年の時、学校で友達になった、かおりさんの家に遊びに行った日、今日の昼下がりに似た空気に包まれた、彼女の家の庭で蝶を追いか
けたことがあった。
私は蝶を見るのは好きだが手に触れることはなかった。かおりさんは小柄で小さな顔におさまった目鼻口がバランスよく並んでいた。
「手でつかんでごらんなさい。小さくてちっとも怖くなんかないわよ。」
「そうね、かわいくって、怖くなんかないわね。」
私は、かおるさんの言葉を、そのまま繰り返し、微笑んだ。
はっきりと見た彼女の黒い目の中に、キラキラと輝く瞳孔が太陽を受けて、小さい円になっていくのを不思議な気持ちで見つめていた。なんでも知っているよう
な瞳、物事をやさしく表現する口元、花の香りがすすんで飛び込んでいくような愛らしい小鼻、顎は小さく三角にとがり、さらに知的に見えた。
シジミ蝶。小さな愛らしい蝶を、私はプロヴァンスでも見ることができる。ありがとう。
2007年9月5日
プロヴァンスのゆかいな人々
太陽の恵みを受けているのはフルーツや野菜だけではない。プロヴァンスの人々もその恩恵を受け、陽気で明るい。日本からフランス語を習いに美しい女性が
やってきた。マドモアゼルCちゃんはすぐにプロヴァンスの人気者になった。美しいだけでなく彼女は明るい性格でプロヴァンスが大好きだった。それはこの地
域で最も受け入れられた。まるで彼女の為に全てのチャンスが開くようだった。
近所に住む料理を教えてくれるシェフ・ロホンも彼女がいっぺんに気に入ったようだ。
料理レッスンが始まる前に、まずホッペにキスを3回。
「プロヴァンスでは3回、キスをする。そしてお酒を飲んだら時々10回になるよ。」と早くもプロヴァンス式挨拶をアピール。
レッスン中もカメラを取り出し料理を教えながら、生徒のマドモアゼルCちゃんを撮り喜んでいるシェフ・ロホン。メニューは
オントレ:生ハム、メロン。
メイン:イカの肉詰めトマトソース煮とハタトイユ。
デザート:バニラとショコラアイス。
料理レッスンが済むと煮込み時間をシェフが管理し、通訳の私達とマドモアゼルは休憩時間となる。
夕食は20時から24時までを予定し、シェフの友人を招いてワインもソムリエよろしくメニューに合わせて準備された。約束の時間にカフェテリアを覗くと
シェフの友人ピエールも来ていた。
彼らは漫才師のように息が合い、食事の間は笑いが絶えないほどだった。
「ジュスイ、ファティゲ、アコースド、ボノウ。私疲れちゃったわ、幸せのせいで」と私は笑いの隙間で息も絶え絶えにそう言った。彼らは日本からの女性に興
味があり、又プロヴァンスに住み着いてしまった日本人にも興味があった。
「どうして、日本の遠くからこんな田舎に来たの?」と質問攻め。
「プロヴァンスが好きだからよ。」と答えると
「そりゃ〜よかった。実にいいことだ。人生は美しい。時間とお金の追いかけっこじゃ駄目だ。自分を見失っちゃうからね。人生がばら色に輝くのはプロヴァン
スしかないよ。」
そして私達は深夜まで笑い合った。
2007年8月30日
気配りのコツ
フランス生活で、私は自分なりの気配りのコツをつかんだ。
日本に居たときから気が利く、気を使う、気配りができる。ことが楽しかった。日本女性に多く見る謙遜のシステムが備わっていたから、日本では私の気配りは
スムーズに流れていた。
国が異なると悪気はないと思うのだが、気が付いた人が動けばいいという世界があるとしたら、私の体は10個あっても足りなくなる。
気が付いて動く、機転をきかして周りに気を配ると・・・・。24時間では足りなくなってしまった。
そして、ついに私の大好きな時間が削られていくような寂しさを味わった。ふと、振り返ると無料労働者の姿が自分の姿のような、ちょっぴり被害妄想的な私が
いる。ああ〜これは少し方向を変えなければいけないなあ〜って思った。
しばらく時間はかかったが、(4年間)自分なりに、気配りは楽しいし、喜んでもらえることは続けていきたい。その中で私も嬉しい方法はないものだろうか?
と考えてみた。
気配りイコール労働の方程式をはずしてみると、見えてきた。判ってきた。色々な気配りがあることに気が付いた。
2007年5月25日
プロヴァンスの
風に誘われて
1993年の
夏、私は憧れのフランスに始めて来た。アヴィニョンフェスティバル、オフ、
ダンス部門に参加する為に。演劇祭、7月の南仏は太陽の街だった。
午後から始まる
私達のダンス。汗の中で一瞬意識を失うような眩暈を感じた。それは暑さの
せいか、もしくは演劇祭の情熱に焼かれた私の魂のアンニュイか。生きることを太陽と一緒に味わい、それを風が癒してくれた。なんというハーモニーを持った
土地なのだろう。その感激が私の激しい魂の揺れと迷いと情熱を一気に天へ吹き上げた。もう逃げられない。私は恋に落ちた。この南仏の太陽と風に。
あれから、10
年の年月が流れ2003年の夏、私と夫は、とうとうプロヴァンスへ引っ越
してしまった。毎年バカンスの2週間をプロヴァンスで過ごし、ヴェゾンラホメンヌ・ローマ遺跡で行われるダンスフェスティバルを、全て観るという10年の
歴史を持った。
やはり、もう逃
げられない。魂を焼き尽くされた抜け殻となっても、なお、この土地の魅力
に抵抗することを知らず、毎年訪れ、性懲りもなく暮らしまで始めた。なんという虜。
命がけの恋をこ
の南仏の土地にした私の運命、辛いとか寂しいとか環境が云々などと甘えた
言葉さえ飲み込んで、潔く命ごと、この土地に奪われたような強烈な恋。
そんな激しい恋
を体験したことがあるだろうか、命がけで恋するということは怖いものも心
配なことも小さな希望さえ、流し込み命だけに絞り込んだ純粋な愛のみが受け入れた激しい恋。逃げられない。日本が恋しい気持ちや家族を思う気持ちを超え
た、強烈な魂の叫びを私は私の中に確かに聞いた。逃げられない。この土地の灰になり、この土地の魂と共に生きること、そして全てをささげること、誓うこ
と、自分自身に愛と喜びを持って誓うことだった。
そして今日もま
た、プロヴァンスの風は遠慮もなく、堂々と私を虜にする。
プロヴァンスの
風に誘われて (2)
私達はある時、
パリに半年ほど暮らしたことがある。それはプロヴァンスの季節を2周りほ
ど楽しんだ後。パリの生活は私に活気的な空気をもたらした。セーヌ、オペラ座、カフェ、ブティック達は、東京の生活とは又少し異なるモダンさで私を喜ばせ
た。
そしてパリで見
たオペラは、オペラ座の見事な歴史的建築と催し物の豊富さ、驚くほどに安
い料金に感謝し、文化のありがたさと芸術に生きるパリそのものを知った。憧れだったパリは私をタイムスリップさせた。今から34年前、私の19歳時代まで
坂のぼる。両親の仕事関係で1973年度パリの美容師チャンピオン、ムシュー・ロベールとの出会い。
私は彼の日本に
おけるヘアーショーのモデルをさせて頂いた。その時同行されたマダム・リ
リアンヌとムシュー・キキ(ニックネームを覚えている日本男子)3名による美容室めぐりとショーは、私に最初の人生のときめきを与えた。パリ、フランスを
身近に感じ、私の憧れとなった。そんな過去を思い出しながら散歩したパリ。目の前の道を見るとコンコルド広場。私は無意識に歩いていた。
なんという不思
議なこと。ムシュー・ロベールはこの近くにお店を持ち、住まいも近くに
あったはず。だが私の記憶はそこで途切れた。19歳、パリに来る予定だった私の夢。ムシュー・ロベールはキキに相談を始めた。「晴子をパリに連れて行きた
い、私の店に来ないだろうか? ソルボンヌでフランス語を学びながら、店で働いてみないか。」両親との会食の際に突然湧き出した私の未来の話に、私は有頂
天になった。「行きたい、一緒にパリに行きたい。」私は考える時間すら惜しむように即答していた。
両親は私に語学
を身に付けさせる為、教師を探してくれた。私の住む岐阜市では、あの当時
フランス語教師を見つけることは困難だった。車で30分ほどの所にフランスから帰国した人がいると聞いて、そのお宅まで習いに行った。しかし彼もまたホテ
ル経営者として忙しい日々を送っていた。私にレッスンを付け会話ができるようになるまでは、気が遠くなるほどの時間を作らなければならなかった。
様々な人生の
波、不思議な出会い、何度も繰り返し現れては消えた私の小さな夢は、やがて
その夢を忘れた時に、こうして私の目の前に無表情に現れた。無意識に散歩したパリで、19歳に訪れるはずだったコンコルド。
私は歩くのを止
め、しばらく佇んだ。ここだった。ここを毎日通学しながら歩くはずだっ
た。希望をいっぱい詰め込んだスーツケースと私の未熟を置き去りにした夢は、この場所を求めていた。現実を目の前にして私は人生の不思議に出会った。
プロヴァンスの
風に誘われて (3)
パリ生活を過ご
し私の心の片隅にあった夢に再び気付いてからは、私の中に不思議な落ち着
きが現れた。実現したかった夢を再確認した気分、初恋の人に出会ったような淡い喜びと懐かしさ。
節を通過した私
の幼い夢は、すでに成熟し新たな夢があることに気付かせてくれた。
プロヴァンスへ
帰ろう。途中で切り取った根が、あの愛しいプロヴァンスの土地で新たな芽
を吹き出そうとしている。私が水を与えてあげなければ、私が愛情を持って育ててあげなければ枯れてしまう。
「帰ってもい
い? プロヴァンスへ帰ってもいい? ねえ・・」
「・・・」
夫に私のわがま
まな思いを話すと、彼は無言でうなずいた。
2005年6
月、締め切って出かけた私達のメゾンへ戻った。ドアを開けると
「わー、わー」
と喜ぶ声が聞こえたような気がした。
「ただいま、た
だいま」私は机と椅子、本箱、写真、壁、階段、カーテン、家の中の私達の
全てにキスを投げた。
テラスにあった
ゼラニューム、ペチュニア、ベゴニア達も未だ生きていた。良かった。元気
がないけど、しっかり私達を待っていた。私は早速いつも使い慣れたジョーロに水を汲み花達にゆっくりと飲ませてあげた。
ありがとう、
待っていてくれて、ありがとう。
空を見ると大き
な太陽はジリジリと私を照らし、酸素を私の肺に送り込んだ。私は遠慮のい
らない私達の空気を思いっきり吸い込んだ。血液の中に流れ込む美味しい酸素と花の香り、隣の松の木が風に揺れて「お帰り」と囁いた。小鳥達が集まり一斉に
歌いだした。
「おかえり〜お
かえり〜〜ピーピピッピピー」
今もプロヴァン
スの風は、私に幸福を歌ってくれる。
***
晴子
MICHALON
プロヴァンスお
気楽・貸し別荘:観光送迎付き
私
と夫が空港や駅までお迎えに行きます。
Tel:
09 64 20 41 89 Fax: 04 75
27 12 50
南仏宿泊
***
2007年4月21日
プロヴァン
スの自然を愛して
2003年5月
8日 東京世田谷の家を離れ、南仏の田舎に移り住んだ。文化生活とかけ離
れた日常。小鳥の声に目覚め、太陽と共に遊び、月と共に眠る。
春の報せはコク
リコとアーモンドの花から、夏の報せはラベンダーと蝉、秋の報せは紅葉に
輝く木々、冬の報せは風と雪。
メトロも電車も
バスさえ通らない丘の上。文明社会から遠く離れた私たちは本当の人生を味
わっている。生きること愛すること、ただそれだけの世界。
看板もないビル
もないスーパーもデパートもない。農家からもぎたての野菜を分けてもら
い、庭になるイチジクで1年分のジャムを作る。
庭に咲く花々は
私が学んだ生け花を思う存分生かすことができた。誰も見ない花展覧会を私
は毎年惜しむことなくエネルギーを使い又与えられる。
2007年3月24日
「女性の生きる道」
昨日のフランスのニュースにドメスティックバイオ
レンス家庭内暴力により、
命を落とす人がフランス国内、3日に1人という内容を聞いた。そしてその
ニュースは日本に残してきた娘の結婚生活に大きな影を落としている現状と
重なり、私に生々しい衝撃を与えた。娘だけではない。家庭内の表に出にく
い場所で行われているエゴイズムによって、傷付く人がいるという現状。
そしてニュースは2007年と記された新しいお墓を映した。
暴力は言葉にも存在する。
ドメスティックバイオレンスという得たいの知れない怪物は、未来の子供た
ちに大きな影響を及ぼす。何とかしなければ、これは家庭内、個人的な問題
ではなくなっている。世界の未来に通じる対策を考える時代に入った。
「戦争の匂いがするの」とメールを送った娘の苦悩の渦に、混乱する無力で
未熟な母を、それでも母と呼ぶ娘。日本とフランスは近いと思っていた私は、
始めて地球の大きさに戸惑った。娘の体温が感じられる場所まで飛んで行き
たい。どれほど娘にとって地球は大きかったか。そして混乱の母親の前でニ
ュースは続いた。
「ひとりで悩まないで、私たちに話しかけて下さい。」と声があり、テロッ
プで電話番号が流れた。動き出した、助けようとする心を持つ人達が動き出
した。私は映像の裏に受話器を手にする姿を見た。
私は心から祈る。
「貴方だけの命ではない、大切な貴方の命を犠牲にしないで」世界の苦しみ
を味わっている人達へ。そしてその言葉は日本にいる娘へ。
現在娘は弁護士を立て{女性の生きる道}を模索している。何故、弁護士が必要なのか、の問いに、 慰謝料、養育費を望む訳ではない。と娘は言った。男尊女
卑の影から自分自身を解放する為だと・・。
「旅の荷つくり」
プロヴァンス
の
我が家から、日本へ帰郷する時は、マルセイユ空港からパリシャルルドゴール空港へ、そして成田、もしくは名古屋空港へと向かう。所要時間はというと、我が
家ーマルセイユ:1時間半。マルセイユーパリ:1時間20分。パリ空港待ち時間2時間。パリー東京:12時間。成田税関出口まで:30分。成田ー神奈川の
家:もしくは名古屋空港ー実家:移動が1時間半。合計19時間の旅となる。
東京暮らしの
頃
は、日本からフランスの夫の両親に会うことから始まり、2003年、プロヴァンス移住開始後、今度は日本の私の両親に会う旅が、毎年の行事となっている。
疲れを感じないほどに旅が大好きな私にとっては、飛行時間はさほど苦労な話ではない。時には飛行機の経由地を変えて、イタリア、スイス、オランダ、香
港、
等と楽しむこともある。また帰郷とは別にベトナム、グアム、沖縄、九州、北海道、など飛行機の旅は、もう数えることを止めて10年はたっている。
旅慣れたから
と
いって気を抜けないのが荷物つくりである。帰郷には年に一度しか会えない両親に、あれもこれもと普段から小さな、お土産を細々とそろえておいて、いざ、
スーツケースに入れるとなると、スペースに限りがあり、これはあきらめよう、それともバックへ、、、、
そうこうして
い
る内に、肝心な自分の服や身の周りの物が入らなくなる。こんな繰り返しをしている内に、お土産は軽く薄く、着替えは洗濯ができ、かさばらないもの、日本で
買えるものは思い切って荷物からはずし、下着類は1週間分ほどをケースに入れ、服は使い慣れた軽い物を3着。そして薄めのスカーフを4枚と大き目のスカー
フを1枚。とっさに人に会わなければならない時は、普段着にスカーフを2枚同色、又は違うスカーフをそれぞれ1枚。使い方で腰と首に
アレンジする。
この方法は意
外
と便利である。同じ服なのに、まったく別な印象を引き出してくれる。母でさえ一緒に外出するたびに「今日の服は素敵ね」とごまかされている。私はにっこり
母にスカーフを取ってみせると、「アラッ、上手にアレンジしたわね!」などと、まんまと私のファッションマジックに惑わされてくれる。スカーフは私の手造
り、まさにオーダーメイドで世界中どこを探してもない。
帰りは使い慣
れ
た洋服を母に、寝巻き代わりにと言って渡し、私は新しい下着と服でフランスへ戻ってくる。だから、私の荷つくりは、あっけないほど軽く、何日でも、どこへ
でも、簡単、楽々!なのである。
2007年1
月14日 プロヴァンスにて
「朝の霧の声」
あなたが此処に
居るということは、あなたに是非して頂きたいことがあるからです。それを
これから、お話しますので聞いていただけますか?
何故あなたが此
処にいて、毎日を暮らさなければならないのだろうか、とお悩みになったの
ではありませんか? 何をしていいのか分からないまま時間が過ぎていくあせりを感じたり、他人のせいで時間を無駄にしていると腹立たしく思ったり、ねえそ
う思っていらっしゃるのではありませんか?
これは、あなた
が望んだことだからです。
今は忘れている
かもしれないけれど、いつか昔そのずっと昔にあなたが私に頼んだことなの
です。思い出してみてください。あなたの希望を、小さいころに夢見たこと、そして懐かしい感じをたどってみてください。ね? 思い出したでしょ?
あなたはずっと
昔に、この場所にいたのです。このように。そしてなすべきことがあったの
です。それを今できるようにしてあげましたから充分な時間を使って、思うように実行してごらんなさい。さあ、遠慮しないで、おやりなさい。
2006年12月14日
「プロヴァンスのボー村へピクニック」
昼近くになって
太陽が出てきたので、久しぶりにピクニックがしたくなった。夫にいうと賛
成してくれた。私は早速、昨日の残り物で簡単にサラダ、ソーセージ、ピラフ、ポテトフライを作り、バスケットに放り込んだ。そして最後にワインと水、グラ
ス、などを入れた。
川に着くとここ
数日の雨のため、水が白くにごっている。
食事はワインを空けながら、3日前の兄弟達とのパーティーの話を思い出し、笑いながらの楽しいピクニックになった。兄弟の子供の頃のいたずらや、近所のお
じさんの変なくせや、そのころ流行のバイクに乗って、かっこつけた少年の話などなど。
食事が済むと夫
は子供に戻ったように、冷たい川をまたぎ石を飛び乗って小さな水溜りへ
行っ
た。
枯れ枝を捜し、水をせき止めている枯葉やペットボトルなどのゴミを取り始めた。
勢いに任せたゴミ達は下流へと流れ、やがていつもの美しい景色へと変身していった。
夫のお陰でボー
川は浪々と流れ始めた。
ピクニックで残った食べ物を魚が喜びそうなものだけ、細かくして投げてやる。
白く濁った水面
に魚がはねた。
私には「ありがとう」と聞こえたような気がした。
夫は振り返り、
少年の目で私に微笑んだ。
これで おち
がつくはずであるが、、、
夫は又、引き返し枝をひろい、延々と枯れ枝流しに精を出す。
私の声が美しい
川に響く
「サシュイフィー」もう、充分でしょ!
まるで彼のママ
ンのように・・・怒りながら嬉し涙があふれてきた。
2006年
12月 7日 午後1時30分
・・・
帰国時に夢中に読んだ日本の心
「又蔵の火」:藤沢周平
岐阜で母に貰っ
た5冊の内の1冊:2006年9月27日、神奈川県綾瀬に1ヶ月
10月3日よ
り、岐阜県穂積に11月19日まで 娘聡子と孫舞羽と共に過ごした。
帰国より読み始
めた本は、私をさらに日本の中心へと導いていった。
今回の帰国は昨
年の京都旅行に続き、奈良の大仏と鎌倉の大仏を観る旅となった。
強羅温泉に泊ま
り、肌にぬめりを感じながら、私は藤沢周平の世界へと入った。
内容はさすがに
周平ぶしの効いた男の表現があり、特に生と死とが苦しみと背中
合わせに在り、
憂鬱を歌わせるリズムが漂う。
以前読んだ「蝉
しぐれ」のような上品さとは遠く、男の中にある恋。女がにおう。
細かな描写を省
いたロマンは、読み手の経験かあるいは、遺伝子にある何物か
を生々しく発想
させる。
アジア的な湿度
と負のぬくみが、主人公の男たちから伝わってくる。
時代小説。汗と
血と湿度。自分がシーンの中に存在するかのような錯覚を味わう。
読み手の心を憎
いまでに自由に操る周平ぶしは、今後も私を帰郷の旅ごとに
狂おしく吸い付
けて止まないだろう。
2006年
12月 7日 午前0時
(紫式部は、ふたりいた)
(女
優)
1993年7月、私はアヴィニョンフェスティバル、ダンス部門で1ヶ月講演をした。日本から始めてフランスの地を踏んだのもこの年だった。
19才学生時代、フランス美容師チャンピオンのヘアーショーのモデルをした時、フランス留学とフランスでのモデル活動ができるチャンスを目の前に、私は勇
気が足りなかった。ロベール氏の好意で宿泊も給料も決まっているという幸運の中において、私の自分への愛は未完成だった。それから様々な修行をしたように
思う。
1993年、アヴィニョン400種のテアートルが一斉に開花する芸術、演劇、の渦の中で、私は存在を確かめる衝撃に出会った。そして、密かにこれから毎年
7月には、このアヴィニョンに私という一人の人間を、この場所に置くことを心に決めた。
10年間毎年夏、アヴィニョンに私という人間が立っていた。その10年は演劇を観る側にあり、時間の許す限り観続けた。パレデパップを始めインとオフに加
え、近くオランジェ、イクサン、ヴェゾンローマ遺跡で行われるオペラ、ダンス、コンサート、芝居を観た。
馬を自由に操る魔王バータバスのジンガロ。バロックのレザールフロリサン。ダンスのベジャール、シルビーギレヌ、山海塾。気が遠くなる程の芸術三昧。そし
てとうとう2003年、ヴェゾンに近く富士山に似たモンバントーを見渡せる丘パデュバントーに家を持った。それから3年間幸せに暮らしましたとさ。と、な
るはずが、
私の中でもう一人の私がささやきだす。日本の美、日本の魂、日本の優美を語れと。そしてもっと学べと。最初は聞こえない程の小さなささやきが終いには叫び
となり、日本でもっと学べと言うのである。誰に学ぶのか?
黒沢監督の映画 影武者 の仲代達矢殿
影武者が大殿となりうるよう、変わり身の修行を手伝う側近達、城内の女房達、特に大殿の素顔を知る女将の前にして、そして(じい)と呼ぶ大殿の孫を前に、
修行の身から一転して、大殿に成り代わる様は、今までの影から殿へ魂の移る神秘。一人の男が世の求める男へと脱皮するがごとく。徐々に魂の移動が目に見え
て行く姿。
魂の不思議、何者かが働きだした様子が、ありありと手に取るように解る。その演技を見事に映像にした仲代達矢という役者。
あの目を知っているか? 人の腹の奥まで見通すあの瞳。
日本の美、日本の魂を知り抜いた、あの目の前に立ち自分の足で立ってみろ!
そんな叫びを聞いた私は怖じけずいた。私の中にある 怠け者で小心者を見抜かれてしまう。そんな恐ろしいことはできない。すると、又
いつまで、逃げるつもりなのか? 何度も目の前に最高のチャンスを与えたのに、いつも怖がって受けとらなかったではないか! もう、逃げるのはよせ! 学
べ! と今度は大きな叫びとなって私へとせまった。
せっかく美しいプロヴァンスに家を持ってのんびりできるのに、、、、
もう一人の私は、過去の与えられたチャンスの数々を思い出した。なんて怠け者だったんだろう。なぜ素直に受けとらなかったのだろう。これからでも間に合う
だろうか?
やってみろ!実行してみろ!奇跡を起こせ!
私はお金も経験も無い、家も日本に無い
生まれた時も死ぬ時も何もなくていい。ただ生きろ!
そして、私はもう一人の私との会話を十分にした。これから学ぶ道。
2006年9月18日 仲代達矢先生に手紙を送った。
「周波数」
人の道は人それぞれ。
私には10年ごとに来る波のようなリズムがあ
る。そして、その中に2周期4年ごとの変化が来て、空間が訪れる。
これは何
のリズムで、どのような意味があるのかは知らない。考えてみると空間期に新たな目標が生まれることが多い。
ひ
とつのリズム内で
は、ただその道をひたすら生きることに専念できる、するとある固定化された枠が出来上がる。
新たな枠に見えるが、それはいつも私という人間のあり方を問う同じ道のりである。
ひとことエッセイ 晴子 2006/06/16
「後悔の先にあるもの」
プロヴァンスに来て2年と10ヶ月が過ぎた。
この約3年間は、私にとって新しいときめきと新しい空気。
そして迷いと後悔が入り混じった年月だった。
最初の半年はバカンス気分、我が家に居るのに、どこか休暇中のアンニュイの中にいたような気がする。
半年から2年までは東京の暮らしと、毎日の細々とした習慣を懐かしんだ。特に通いなれたレストランのソムリエの笑顔を思い出しては、あの快感に似たメニューと絶妙なワインの組み合わせが、私を東京の暮らしに引きずり込むことがしばしばあった。
下北沢のル・グラン・コントワー。日本のフランス料理はフランス本場より、味が繊細で日本人の舌にやさしい。
私たちの家から徒歩圏ということもあり、お昼も夕食もお世話になった。特に夫の誕生日がクリスマスイブ、特別メニューにピアノ演奏、そしてソムリエ森嶋さんのやさしい眼差しとエレガントな言葉、サービス。その思い出は私を下北沢まで時空旅行させることが多かった。
又我が家の3階にあるテラスでバーベキューも楽しんだ。東京にある賑やかさから、少し異なる安らぎを持った暮らしだった。フランス語教室の経営も順調に進み、生徒達に恵まれ、良き講師達にも支えられていた。
何故、私達はプロヴァンスに来たのだろう? と2年間は後悔を繰り返していた。
あこがれていた暮らしが手に入った後のアンニュイ。なんと贅沢な後悔を、私はあじわっているのだろう・・・
その姿には後ろを向いた自分がいたような気がする。今はこのプロヴァンスに慣れ、自分の根っこがやっと生えてきたような・・
そんなことを思う。
ビジネス、勝ち組、活気的。そんな言葉から縁の無い世界へと憧れた生活。夢のような日常を現実に手にすると「2年で充分だ」と心の中で呟きが聞こえる。
退屈で死ぬかも知れない、そんなけだるい日々が過ぎて行った。
そして、又それをやり過ごしていると、
自分の生活のリズムが整い始め、最初プロヴァンスに心弾ずませた頃のように、景色に感動する日々が戻ってきた。後悔の意味はなんだったのだろうか?
自問してみると面白い。
人生の旅のようで、まったく要領を得ない知らない場所でパニックに陥る人間の習慣、生活のリズムがいかに大切な動物なのだろうかと、覚めた目でみると滑稽な自分がそこにいる。
習慣の中に発見が無いと、どうやら私は退屈するらしい。そして、まったく新しいことに興味を持ち、ときめきを求めて又旅をする。
アンニュイな心の旅。そして急ぐことを知らないフランス、この土地の風が吹く。
プロヴァンスの太陽は、とてつもなくでかい。
そろそろ「兵士の魂・コクリコ」が真っ赤な色を染めるようになる。
コクリコの花は戦死した兵士の魂と言われるほど赤い色をしている。あとで写真を入れようと思う。ああ、後で。
2006年4月11日 晴子


アヴィニョンフェスティバル
ダンス取材を2006年7月より