essai エッセイ 

フランス プロヴァンス


Haruko Michalon - Mumin (Bertrand)
mumin

2007年12月23日

岐阜城からの夜景は まるでパリ!


11月24日、1年ぶりの帰郷 出身地岐阜へ、30日
叔父叔母の招待で日本料亭へ、岐阜長良川のほとりにある伝統的な
老舗で、日本庭園を見ながら、日本料理のフルコース。
女将のお迎えを受けて部屋へ案内される。

私の心には、フランスから来た久しぶりの日本と初めての日本料亭
に、まるで外人のような驚きとワクワク感があった。
それは少し前に見てきた夜景のお陰かも知れない。

従姉妹と行った岐阜城の夜。子供の時には遠足で登った岐阜城だが、
夜景を見たのはこれが始めてだった。鵜飼で有名な長良川はまるで
モンマルトルの丘から見たセーヌのように、そして私の足と心は懐
かしさと故郷の美しさに震えていた。

随分遠くまて行ったものだなあ。灯台元暮らし。
美しさを求めて旅をした、最高の景色を見たはず。
しかし、故郷にそれを見た。私の人生の不思議な美にありがとう。




エッセイ 2006年 7月 10日 晴子ミシャロン

夫 ベルトラン・ミシャロンについて 

タイトル:日本を思う

1982年より東京GALLIA学院を経営していた夫ベルトラン・ミシャロン。
私の夫の長い日本生活。2003年3月、現在のプロヴァンスへ移転することを決めてから、今までの生徒さんや講師の先生たちと、ささやかな さよならパー ティーを開いた。当日は大勢の人が集まってくださった。

中には1987年、夫が日本へ来て翻訳会社に入社した頃からの友人や、最初に生徒になってくださった人達のお陰で、歴史がいっぺんに詰め込まれたパー ティーと なった。

夫が日本へ来た頃は、街ですれ違う人に、外人と驚かれる時代だった。
よくアメリカからですか?と質問されることもしばしば。カタコトの英語で語りかける人に、よく夫は日本語でも大丈夫ですよ。と小さな声でささやくのだっ た。

とくに電車の乗り降りには、自分で通い慣れた乗換えにも日本の人は親切にお世話をしてくださった。一生懸命英語で話して下さるので、時には日本語が分から ない振りをして聞くこともあった。でもついうっかり、さようなら、ありがとう。と言って、あら、日本語がとってもお上手。と驚かれたことも。

翻訳会社勤務、高校や大学講師、自社経営、合計25年間、人生のほとんどを過ごした長い日本暮らし、生活習慣、日本人気質、景色、旅の数々、思い出せば パーティーの間に語りつくせない、長い尊い思 い出ばかりが幾度も夫の頭をよぎった。結局何も言わず、微笑んで皆の話を聞く側にまわった。

小さな子供だった生徒が、背の丈も伸び、声変わりした大人びた声で、先生ありがとうございました。と言われた時、ベルトランのブルーの瞳は潤った。生徒の 中には、演劇をする人もいて、皆の前で能を披露してくれた。面を被り袴姿で日本の伝統を魅せてくれた。

教室はいつもの笑い声をたくさん吸い込んで、 さよらなパーティーを静寂の日本で飾ってくれた。

兄弟で通っていた生徒から、先生、長生きしてください。と長寿の湯呑み茶碗を頂いた。子供たちの成長と数々の夢をこの教室で観た。そして語った。ありがと う、皆さん。

夫はフランス語を教えながら、日本から沢山の愛を受け取った長い時。日本の良さは、プロヴァンスへ移住後3年経っても薄れるどころか、益々振り返るたびに 色鮮や かに甦ってくる。

そして、私は夫に尋ねるのである。あなた、老後の夢はなあに? 
夫は静かにこう答えた。

日本の古い家に住み、庭に紫陽花を植えて、春には桜を観に日本中を旅したい。



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